川口能活さんと稲本潤一さんは、2002年に開催された日刊ワールドカップ日本代表メンバーで、J3のSC相模原に所属していたという共通点があります。日本代表歴代GKの中でもトップクラスの実力者であると言われている川口能活さんですが、奥さんはどんな人なのでしょうか。
そこで今回は、川口能活さんの奥さんはどんな人なのか、子供は何人なのか、馴れ初めや家族エピソードについて紹介します。
川口能活の奥さんはどんな人?
川口能活さんは4大会連続でワールドカップのメンバーに選出され、イングランドのポーツマスFCやデンマークのFCノアシェランといったクラブでプレーしてきました。
川口能活さんはGKとしては小柄ではありますが、逆境の場面に強く、瞬発力や飛び出しのタイミングなどに優れた選手です。
また、現代型GKに求められている足下の技術も兼ね備えており、プライベートでは2005年に結婚しました。
では、川口能活さんの奥さんはどんな人なのでしょうか。
川口能活さんの奥さんや子供、馴れ初めについてみていきましょう。
奥さんは元CA!?
2025年10月現在、川口能活さんの奥さんやプライベートに関することは明かしていません。
しかし、一部では川口能活さんの奥さんの名前は佳苗さんであると噂されており、かなりの美人だとされています。また、職業についても噂されており、川口能活さんの奥さんは元CAだったそうです。
川口能活さんの奥さんが勤めていたのは、デンマークやスウェーデン、ノルウェーの北欧3カ国が共同で運行しているスカンジナビア航空だとされています。
また、川口能活さんの奥さんは語学が堪能ではないかと噂されているようです。
ホステスというのはデマ
川口能活さんの奥さんはホステスなのではないかという噂もありました。しかし、川口能活さんの奥さんがホステスというのはデマで、航空会社に勤めていることが誤解を生んでしまったようです。
空港で搭乗手続き・案内といった業務を担当している人をグランドホステスと呼び、ホステスという部分だけが切り取られてしまい、誤解が生じてしまったと言われています。
また、川口能活さんの奥さんは元CAであると言われているので、間違った情報が錯綜してしまったのかもしれないですね。
奥さんとの馴れ初めは?
ここからは元CAの奥さんとの馴れ初めを紹介していきます。
出会いはデンマーク
川口能活さんは横浜F・マリノスからイングランドのポーツマスFCに移籍していました。しかし、思うように出場機会を掴むことができず、川口能活さんはデンマークのFCノアシェランに移籍することを決断します。
そして、当時スカンジナビア航空で働いていた佳苗さんとはデンマークで知り合ったそうです。ただ、FCノアシェランに移籍しますが、そこでも思うような活躍をすることができず、苦しい時期を過ごしていました。
そのため、海外での苦しい時期を支えてくれたのが奥さんである佳苗さんだったのではないでしょうか。
日本で結婚
日本人GKが海外で活躍することは難しく、2005年に日本に帰国した川口能活さんは地元クラブであるジュビロ磐田に加入しました。ジュビロ磐田での川口能活さんは本来の実力を発揮し、正守護神として活躍するようになりますが、2005年に佳苗さんと結婚しています。
そのまま海外のクラブでプレーするという選択肢もあったと思いますが、サッカー選手としての将来や家族の先のことを考えてJリーグ復帰を選んだのかもしれないですね。
結果を見れば、日本代表にも選出され続けたので正しい選択だったのではないでしょうか。
子供は何人?
川口能活さんは自身のプライベートを積極的に公開するタイプではありませんが、2025年10月現在までに2人のお子さんがいることが判明しています。
川口能活さんと奥さんの第1子である長女・鈴々(りり)さんは、2007年3月25日に生まれました。そして、2013年には第2子となる長男が生まれたことが判明していますが、生年月日や名前については公表されていません。
2010年以降からSNSなども普及してきているので、将来的なことを見据えて公表しない選択をしたのではないでしょうか。
川口能活の家族エピソードとは
川口能活さんは日本代表歴代GKの中でも屈指の実力の持ち主だと言われ、40歳を越えてもプレーしてきました。選手寿命が長いとされるGKとはいえ、川口能活さんが40歳を越えてもプレーをできたのには奥さんである佳苗さんを筆頭に、家族の支えが大きく影響してたのではないでしょうか。
また、川口能活さんはプロになる前に両親に反対されていたとも語られていますが、何があったのか気になりますよね。
それでは、川口能活さんの家族エピソードについて詳しくみていきましょう。
娘の世話に一苦労
2017年10月23日に発売された結婚情報誌『ゼクシィ』で、川口能活さんは娘さんが赤ちゃんだったときの沐浴に苦労したことを明かしていました。川口能活さんも積極的に育児に関わっていたそうですが、娘さんに沐浴をしようとすると必ず泣かれてしまい、それが2歳頃まで続いていたそうです。
ただ、奥さんが行なうと号泣することはなかったようで、川口能活さんはそれに対して少し切ない気持ちにもなっていたと語っています。
子供との時間を増やすために
川口能活さんはキャリアの晩年、当時J2のFC岐阜に所属していて単身赴任という状態だったそうです。しかし、FC岐阜時代は怪我で出場機会が限られており、家族と会えないことや練習グラウンドまで車で1時間以上かかってしまうことなどがストレスになっていたと語っています。
そして、FC岐阜との契約が満了になった際、川口能活さんはJ3のFC相模原を選びますが、家族との時間を増やすためというのも理由の1つだったそうです。
このことからも、川口能活さんがお子さんを大切にしていることが伝わってきますね。
両親に初めて反対された
川口能活さんはサッカー王国と呼ばれている静岡県の清水市立商業高等学校 (現・静岡市立清水桜が丘高等学校)に通っていました。そして、川口能活さんが高校2年生の時には、ワールドユースアジア予選に選出され、正GKが負傷したこともあってレギュラーに選ばれ、そのことをきっかけにプロを目指すようになったそうです。
しかし、国内初のプロリーグであるJリーグが発足したのは、川口能活さんが高校1年生の1991年でした。そのため、今ほどの規模も人気もないこともあり、将来のことを見据えて両親からは反対されたそうです。
まとめ
今回は川口能活さんの奥さんはどんな人なのか、子供は何人なのか、馴れ初めや家族エピソードについて紹介しました。
川口能活さんの奥さんは長きに渡りサッカー選手の妻として支え、2人のお子さんを育て、現在も幸せな家庭生活を送っているそうです。
また、川口能活さんのお子さんがサッカーをやっているという情報はないので、親とは違う道を選んだのかもしれないですね。










