元日本代表の中心選手で、現在はFC東京で活躍する前田遼一選手。
前田遼一選手といえば、ザッケローニジャパンのセンターフォワードとして、アジアカップ優勝やブラジルワールドカップ予選突破に大きく貢献しましたよね!
この記事では、そんな前田遼一選手の結婚相手の嫁や子供について紹介します。
前田遼一の結婚相手の嫁(奥さん)や子供(息子・娘)など家族まとめ!
前田遼一選手の奥さんは、美人で知られ、SNS上でも「かわいい」「きれい」という声が頻繁に上がっています。
FIFA ワールドカップ 2026 大会を目指す SAMURAI BLUE(日本代表)のコーチとして前田遼一氏と契約することに合意しましたのでお知らせします。#jfa #daihyo #サッカー日本代表 #SAMURAIBLUE pic.twitter.com/XqmEQy2i16
— サッカー日本代表 🇯🇵 (@jfa_samuraiblue) January 17, 2023
奥さんは元芸能人ではなく、東京都出身の一般女性で、以前は会社員として働いていたことがわかっています。
2007年10月9日、前田遼一選手の26歳の誕生日を迎える瞬間に、二人は磐田市役所に婚姻届を提出。
誕生日と結婚記念日を同じ日にしたことで、二人の絆の深さが伺えます。このタイミングへのこだわりから、夫婦の強い思いを感じますよね。
奥さんの支えと大怪我からの復活
2007年に右膝の半月板を損傷し、長期離脱を余儀なくされた前田遼一選手。
しかし、その後ジュビロ磐田の中心選手として活躍し、2009年・2010年にはJリーグ得点王に輝きました。
おそらく、この大怪我からの復活劇の背景には、奥さんの献身的なサポートがあったのでしょう。
家庭の支えが前田遼一選手のモチベーションを高め、彼の成功に繋がったと考えられます。
3人の子供たちの存在
前田遼一選手には、3人のお子さんがいます。
長女、長男、次男と、家族で仲睦まじい姿が度々報じられています。お子さんの成長もまた、彼の家族を語る上で欠かせない要素です。
- 長女:2008年8月18日生まれ(現在14歳・中学2年生)
- 長男:2010年5月3日生まれ(現在12歳・小学6年生)
- 次男:生年不詳(2023年時点で6~8歳と推測)
引退セレモニーなどでも家族全員が登場し、家族一丸となって前田遼一選手を支える姿が印象的でした。
次男の生年は公開されていませんが、長女と長男の誕生は大きな話題となり、SNSやメディアでも注目されました。
前田遼一選手の家庭の温かさ
SNSや試合会場での目撃情報からも、前田遼一選手の家族は非常に仲が良いことが伝わってきます。
節目の試合では、奥さんや子どもたちが花束を渡す姿が定番となっており、家族の絆を感じさせます。
彼の家庭については、あまり多くのプライベート情報が公表されていませんが、それも家族のプライバシーを大切にする姿勢の表れでしょう。
プロサッカー選手として公私のバランスを大切にし、家族を守りながら活躍してきたことがわかります。
前田遼一のプロフィールまとめ!
\ プロフィール /
名前 | 前田 遼一(まえだ りょういち) |
生年月日 | 1981年10月9日 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
身長 | 183cm |
体重 | 78kg |
ポジション | FW (CF) |
背番号 | 20 |
利き足 | 右足 |
\ 所属クラブ /
年 | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
2000-2014 | ジュビロ磐田 | 363 | 154 |
2015-2018 | FC東京 | 103 | 17 |
2019-2020 | FC岐阜 | 59 | 6 |
\ 日本代表歴 /
年 | 日本代表 | 試合数 | ゴール数 |
1999-2001 | 日本 U-18/19/20 | 29 | 7 |
2002-2004 | 日本 U-21/22/23 | 18 | 1 |
2007-2013 | 日本 | 33 | 10 |
前田遼一の年俸推移や現在までのキャリアを解説!
それでは、前田遼一選手の年俸推移を紹介していきます。
年 | 所属クラブ | 年俸 |
2018年 | FC東京 | 3000万円 |
2017年 | FC東京 | 5500万円 |
2016年 | FC東京 | 5500万円 |
2015年 | FC東京 | 5000万円 |
2014年 | ジュビロ磐田 | 5000万円 |
2013年 | ジュビロ磐田 | 1億円 |
2012年 | ジュビロ磐田 | 7500万円 |
2011年 | ジュビロ磐田 | 6000万円 |
2010年 | ジュビロ磐田 | 5600万円 |
2009年 | ジュビロ磐田 | 3800万円 |
2008年 | ジュビロ磐田 | 4200万円 |
2007年 | ジュビロ磐田 | 3500万円 |
2006年 | ジュビロ磐田 | 2500万円 |
2005年 | ジュビロ磐田 | 2000万円 |
2004年 | ジュビロ磐田 | 1200万円 |
2003年 | ジュビロ磐田 | 1000万円 |
2002年 | ジュビロ磐田 | 1000万円 |
2000年に、プロ入りする際には、Jリーグ13チームからオファーがあったほどの逸材だった前田遼一選手。
当時、黄金期だったジュビロ磐田を選択しJリーグデビューを果たしましたね。
当時は、ドリブルが得意な天才ミッドフィールダータイプでした。
しかし、ジュビロ磐田黄金期でなかなか出場機会に恵まれない中で、2002年に右膝を負傷し外側半月板縦断裂の大怪我を負って、悲運の天才としてドリブラー前田遼一選手はキャリアを終えるのかと思われました。
しかし、俊敏性と柔らかなボールタッチこそ失われたものの、ジュビロ磐田のチームメイト高原直泰選手、中山雅史選手の系譜を引き継ぐストライカーとして再生!
そして、2003年シーズンから、フォワードとして得点を重ねていきます。
2005年シーズンから、3年連続で二桁得点を決めると、2009年に20得点、2010年に17得点で2年連続得点王を受賞!!!
2010年から就任した、ザッケローニ監督により日本代表のワントップに抜擢されると、ワントップで活躍!
アジアカップ優勝や、ブラジルワールドカップアジア予選突破に大きく貢献しました。
しかし、2014年からは、大迫勇也選手、柿谷曜一朗選手の台頭により、徐々にポジションを失い、ワールドカップメンバーからは漏れました。
その後、FC東京へ移籍。
レギュラーポジションを奪えない時期もありましたが、出番を得ると一定の活躍が出来る安定感を発揮しています。
前田遼一のポジションやプレースタイルを解説!
それでは、前田遼一選手のプレースタイルを解説していきます!
ポジションはフォワードです!
フォワードとしてのタイプは、ポストプレイヤーですね!
大食いで有名なことと、怪我をしている時期が長かったことが関係しているのか、若手時代より身体の線が太くなり、相手を背負うことができます。
前田遼一選手が、ポストプレーを特徴にしていったのはプロ入りしてからです。
高校時代は、東大を狙えるレベルといわれていた地頭の良さと、大怪我をする前は『天才』と称されたほど技術水準が高かったことが、ポストプレーの成長に繋がったのかもしれません。
また、ゴール前でのポジショニングや、中盤にスペースを創り出すオフザボールの動きだしも秀逸!
周りを活かしながら、自分も活きるというストライカーですね。
昔は、『フォワードは点を取ることだけが仕事』という考え方があったと思いますが、現在サッカーでは、フォワードが周りに点を取らせる役割や守備面での貢献も求められます。
そんな中、前田遼一選手は、点を取る以外のフォワードに求められるようになったプレーの水準が高いですね。
守備面でも、前線からの守備は常に的確で、ファーストディフェンスとして素晴らしい働きをしてくれます。
コンフェデレーションズカップで、イタリア代表と対戦した際には、ピルロ対策を完璧に遂行して、ゾーン・ディフェンスの生みの親である元ACミランの監督アリゴ・サッキ氏に、最も印象に残った選手として挙げられました。
というわけで、前田遼一選手のプレースタイルは『得点力もあり、チームにも攻守に貢献できる利他的なフォワード』とまとめることができるでしょう。
前田遼一のプレー動画!
前田遼一のデスゴール2018はどのクラブ??
まず、前田遼一選手の『デスゴール』というものについて説明します。
JFAがストライカーキャンプを実施 前田遼一コーチ「ゴール前でミスを恐れず仕掛けることを期待」 https://t.co/lE8HpC7A46 #サッカー #soccer #football pic.twitter.com/7k7ynOb1Ih
— スポーツ報知 (@SportsHochi) December 9, 2021
デスゴールとは、前田遼一選手がシーズン初得点を決めた相手チームが、J2に降格するというジンクスのことなのです。
なので、対戦相手は、前田遼一選手に初得点を恐れているのです。
そんな、前田遼一選手の初得点と決められた相手の順位がこちら。
年 | 所属クラブ | 順位 |
2007年 | ヴァンフォーレ甲府 | 17位 |
2008年 | 東京ヴェルディ | 17位 |
2009年 | ジェフ千葉 | 18位 |
2010年 | 京都サンガ | 17位 |
2011年 | モンテディオ山形 | 18位 |
2012年 | ガンバ大阪 | 17位 |
2013年 | 浦和レッズ | 6位 |
このように、2007年から2012年まで、6回連続で前田遼一選手の初得点を決められたチームは降格しています。
2013年の浦和レッズは残留しましたが、この年は前田遼一選手が所属する『ジュビロ磐田が降格する』という結果となりました。
というわけで、前田遼一選手のデスゴールは、たまたまということになりましたが、未だに初ゴールを決められるとそのチームは気分は良くないですよね。
ちなみに、2018年のFC東京の試合順は、
浦和レッズ→ベガルタ仙台→ジュビロ磐田→湘南ベルマーレ→ガンバ大阪 → V.ファーレン長崎→鹿島アントラーズ→セレッソ大阪→清水エスパルス→サンフレッチェ広島
となっています。
前田遼一選手には、くれぐれも初ゴールを決められないように注意しましょう!
ところで、
前田遼一選手がシーズン初ゴールを決めるチームはなぜ降格しやすいのか?
について個人的な説があります。
それは、前田遼一選手は個人能力で点を取るタイプではなく、周りと連携して論理的に崩してワンタッチで得点を取るタイプだからです!
つまり前田遼一選手に点を取られたチームは、守備を崩されている可能性が高いのです!
どのチームも、守備組織を構築してから入る序盤戦で、崩されて失点しているチームは降格しやすいですよね?
というわけで、前田遼一選手のデスゴールは、未だに効力を持っているというのが個人的な説なのです。
信じるか信じないかは、あなた次第です!
前田遼一の大食い伝説もヤバイ!?
毎シーズン、デスゴール伝説に注目が集まる前田遼一選手ですが、実は、大食いでも知られていて、数々の伝説を残しています。
🎥飯テロ❓
FC東京(@fctokyoofficial )が公開した13日ヴィッセル神戸戦に向けた「食べまくり」プロモーション動画が話題です! #PR🗣編集部より
「主演 #前田遼一 選手は2015年の #FC東京 加入後、#ヴィッセル神戸 相手に4ゴール挙げています」 pic.twitter.com/ZNLbr1gcHq— サッカーキング (@SoccerKingJP) August 12, 2017
あくまでも噂の域を出ないのですが、そんな、前田遼一選手の大食い伝説のエピソードがこちら。
- チームメイトで大先輩の名波浩宅の炊飯器をお新香だけで空にした
- キャンプ中、監督から食べる量は他の選手の2倍と命令される。
- 勝つと肉がもらえるというキャンプ中の練習試合の鹿児島デーで大活躍
- 大卒ルーキーが大食い対決に挑むも完敗
- 食べ放題のカレー屋で出禁になったことがある
- アテネオリンピックアジア予選中東で食事が合わずに選手のほとんどが下痢になるなか 一人、いつも通りの大食いを続け、一応処方された下痢止めを飲んで便秘に苦しむ
- うなぎ一口にたいして、米5口
- 食べる量の多さにチームメイトから引かれる
- 趣味は食べること
日本人選手は、食が細いということが課題としてあげられることが多いのですが、前田遼一選手ほどではなくても、他の選手も食事に対してアスリートとしてもっとこだわって欲しいと思いますね。
ただ、前田遼一選手の場合はサッカーのための食事というよりは、ただお腹が空くタイプな気もしますが。笑
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